第43回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語。】

第42話 父、やぞうの夕食時の話し。2012年3月21日水曜日投稿。
 
夕方、父親が、学校の仕事から戻って来た、学校の校長先生は、朝、1番に学校の職員室にいって、一番最後
 
に帰るので、いつも遅くなって、帰ってくる。
 
母のシカが、「あなた美津雄の考察表よ、見てやってください。」と、父に考察表を渡すと、「おや、随分とシワ
 
が入っているではないか、どうしたんだ。」と聞かれたので、「実は、堀内のぼんくらに、持ち逃げされて、ーー
 
ーーーー。」と話すと、「けしからんなー、他人の大事な書類を。」といいながら、開いて見ていた。
 
「おい、美津雄、父さんも、学校の教員として、誇らしく思うよ、良くやった、全部甲とは、なかなかできないこ
 
とだ。」と上機嫌になってくれた。
 
「最近のおまえの、朝早くから、夜遅くまで、よく頑張っている姿を見て、安心しておるのだよ、 よその出来の
 
悪い生徒は、商店で、店の品を盗んで、巡査に突き出されたり、色々あって、父さん疲れていたとこだが、疲
 
れが取れたよ。」と言って喜んでくれた。
 
 その日の夕食時に、母のシカが、「美津雄に医大に進んでもらいたいんよ。」と言い出して、黙って聞いてい
 
た父が、「シカ、それは、金銭的に無理な相談だ、医大は学費がかかりすぎて、我が家には、無理だ、費用を
 
どうするんだ、又、他の学校に行っていても、赤紙がきて、兵隊に取られたら、二等兵で最前線行きだ、それ
 
より、海軍兵学校なら、四年間は、安心して内地の学校に行ける、卒業したら、将校だ、後の方にいて、死ぬ
 
可能性がずっと低くなる、又、学費は必要ないし、退職したら、恩給で暮らしていける、ワシだって、学校の
 
教師に、美津雄になってもらいたいと思うけれど、先の日露戦争で、同僚の教師が、中国の戦地に行ったま
 
ま、何人も、戦死して帰ってこない、白い箱で帰ってきたのを見て、ワシは、兵学校に行った方が良いと思って
 
いる。」と母に告げてくれ、母は、それ以上 なにも言わなかったのであった。
 
【次回に続く。】