第103回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第102話 収穫時の昼の出来事                     2012年5月20日 日曜日投稿です。
 
山口のおばさんと一緒に、母の食事を持って、自宅に戻ると、おばさんが、「シカさん、昼をもってきたで、調子は
 
どうかいのー。」と話しかけると、「頭痛がして、下腹が張って、体がだるくて、ーーーー。」と、布団の中から、
 
受け答えした。
 
「美津雄は、田仕事をしたことがないので、足手まといにならなければええが。」と母が言うと、「心配せんでも、
 
うちらと一緒に、稲を縛ってもろうて、たすかっちょるんよ。」とおばさんと話しをしていた。
 
後から、わかった話だが、当時の母は、現在の子宮筋腫という病気で、薬など飲んでも良くなるわけがなく、
 
その後、ガンになり、転移して、他界するのであるが、盲腸炎が、大手術の当時の医学水準で、病院の先生も
 
気休めの薬を出す程度で、一日中病床であった。
 
母とおばさんと三人で一緒に、食事をして、又、田に戻って、みなと一緒になり、お茶をいただいて、いたときに、
 
山口のおじさんの親戚の人から、「校長先生のぼんさん、わしらは、小学校も満足にいっとらんが、畝傍中学
 
【うねびちゅうがく】を卒業するとは、たいしたもんじゃのー。」というと、他の人が、「ほうー、さすがは校長先生
 
のぼんさんじゃ。」とほめてくれるので、てれくさくなって、ゆでだこのような顔になってしまった。
 
山口のおじさんが、「校長先生のぼんさんはのー、海軍兵学校の受験をするために、勉強されとるのだが
 
の、無理言うて、今日と明日、手伝いに来てもろうたんじゃ。」というと、もう一人が、「シナの戦争で、戦死した
 
連中が生きとれば、稲刈りも楽なのじゃがなー。」 「何しろ、兵隊言うのは、突撃せいと言われたら、弾が、
 
ばんばん飛んでくる中を、出てイカニャーならんて、拒否したら、軍法会議で、銃殺じゃしのー。」
 
山口の、あんた、よう生きてもどつったのー。」というと、「ワシは、輸送部隊で、馬や牛の世話係をしておった
 
ので、運よう、奈良に戻れたが、シナの鉄道から、眺めるとのー、見渡す限り、戦死者の墓の棒がのー、
 
一面、何万も立っているんじゃ。」と言う話しをすると、もう一人が、「怒られるかもしれんが、戦争はこりこ゜り
 
じゃわい。」という、「ぼんさん、将校になったらの、後の方で、突撃ーと声を出しとって、指揮をしとればよいの
 
で、死なんですむわい。」と言うので、「僕が将校になったら、先陣で、先頭に立って、乃木将軍のご子息のよう
 
突撃します。」と返事をすると、おじさんが、「ぼんさんも、若いのー、戦地に行ったことがない人間の言うこ
 
とじゃ。」  「のうーーみんな。」と言って、みんなクスクスと大人達は、笑ったのであった。
 
【次回に続く。】