第138回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第137話 加計の実家のおせち料理                  2012年6月26日 火曜日投稿。
 
 のどかな、大正10年の正月で、實は、畳の上で、寝そべって、考え事をしていたのであるが、弟の幸男が、
 
「兄ちゃんごはんよ。」と呼びに来た、新年家族揃って、食事をするのは、ひさしぶりである。
 
父が、「實【みのる】、今年の春、1中を卒業して、どうなるんだ。」と聞くので、「今年は、海軍兵学校の試験は、
 
例年より、早く、行われるらしいよ、定員が大幅増して゛、例年は150人程度らしいけど、今年度は、300人くら
 
いの募集らしい、だけどねーー、がんばらないと、頭が良いだけでは、合格しないらしい、体操とか、視力と
 
か、体格とか、色々と難しい基準があって、俺、背が低いから、心配しているんだ。」と父に言うと、父が、「身長
 
だけは、どうにもならんな、下駄でも履いて、ごまかすか。」 と笑いながら、会話がはずんだ。
 
食卓には、祖母と母の手料理が並び、ごちそうであった。
 
 山奥の山間ということで、魚の料理は無かったが、お餅ちなどの正月料理を楽しんだのだった。
 
兄の松三は、広島大学付属中学に進学し、頭脳抜群、運動神経抜群の秀才で、帝大卒業後は、大蔵省に
 
官僚として入省し、満州の国務院に出向し、後の総理大臣、大平正芳氏などと、親交があった。
 
ご飯と、呼びに来た、三男 幸男は、器量を見込まれ、原という、造り酒屋に養子に入るのであるが、こちらも、
 
その後、通産省に入省し、昭和の激動の日々を経験することになるのである。
 
そんな事は、当時は、全く、誰も知らないことで、楽しい正月を楽しんでいたのであった。
 
広島第1中学は、広島県の中で1番の進学校で、県内の頭脳優秀な生徒が集まる学校として、有名であった。
 
東京帝大、 京都帝大、陸軍士官学校海軍兵学校と、難関に、生徒を合格させてきたが、合格数は、他校に
 
比べて、多かったのであるが、難関には違いなく、合格者は、1中の中でも、ほんのわずかだった。
 
實は、海軍兵学校 受験一筋で、学業に励み、先輩たちから、入試の情報を集めて、受験対策には、余念
 
がなかった。
 
特に、出題傾向の問題については、復習を重ね、又、この学校には過去の入試問題の資料が多数図書室に、
 
あって、受験には、好都合であった。
 
もちろん、この中学に入るのは、難関であったが、苦労して入学後、さらに、兵学校1本で、努力していたの
 
であった。
 
實は、生まれてこの方、負けず嫌いの塊のような、性格で、絶えず同級生を意識して、自分が上の成績でな
 
いと満足できず、時には、感情的になったり、又、自分より、成績の悪い生徒を、見下して、非難し、軽蔑する
 
様な、性格があったのであった。
 
海軍内入ってからも、自分の思うように、人が動かない場合、イライラとして、大声で怒鳴り散らしたり、そんな
 
事案が、報告され、本人も、イライラは、短所として認めている。
 
 
 
【次回に続く。】