第452回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第451話 いよいよ、故郷を後にする事。 2013年5月18日土曜日の投稿です。
記憶によると、たしか、大正10年の、8月の20日だったか、私は、早朝、手荷物を持って、奈良の
葛城村の自宅を出発したのであった。
母から、「 美津雄、無理しないように、体には、きおつけるんやで。」と、言われて、「 うん、わかった。」
と、そんな会話をしたのを覚えている。
そこで、もう一度、風呂敷包みをひらいて、忘れ物がないか、確認して、再度包み直し、「だいじょうぶや。」
と、独り言を言って、 自宅を後にしたのであった。
少し歩いて、 家の方を振り返ると、母親のシカが、ずっとこちらを見ていたのが、記憶にある。
私は、鉄道の駅のある、奈良方向に、北進し、途中、五条の町中の、橿原神宮に立ち寄って、
身体の健康と、道中の無事を祈ったのであった。
効果があるように当時思い込んでいて、何かにつけては、参拝し、 手を合わせていたのである。
そして、クビには、2年前に、お伊勢参りで買い求めた、お守りをぶら下げていた。
戦後、私は、信仰に生きるのであるが、この当時から、神を大切にしていたのである。
まだ早朝であったが、大池書店の前を通ると、木戸が外してあり、 お店が開いていたので、
のぞいてみると、 敏恵さんと、お母さんが、忙しそうに、開店準備にかかっていた。
「 おはようございます。」と、声をかけて、敏恵さんの足元を見ると、嬉しいことに、私が、
広島で買い求めた、下駄を履いていたのであった。
「 まあーーーー、淵田さんやん、 おかーちゃん、淵田さんがこられたわーー。」と、
声を出すと、奥から、お母さんが出てこられて、「 まあーーーこのあいだは、よいものを
いただきまして。喜んでつかわしていただいています。」と、にこにこしながら、出てこられ、
私は、二人に向かって、「 いよいよ、海軍兵学校に、入学のため、これからいってまいります。」
と、かがとをそろえて、背筋を伸ばして、見よう見まねの、敬礼を二人に対して、行ったの
であった。