第454回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】
第453話 鉄道の中で、将来を語り合う事。 2013年5月20日 月曜日の投稿です。
西に向かったのであった。
8月の熱い中、窓を開けると、涼しい風がはいってきて、心地よい、 小池伊逸君【のちの、連合艦隊
水雷参謀】と、一緒の道中で、駅弁を彼が車中で食べ終わると、私は、大池書店で購入した
本を2冊とりだして、「 おい、小池君、 どちらか、みたらどうや。」と差し出して、2人で本を
見て、車中を過ごしたのであった。
小池君が、「鉄道は、涼しい風が入って、良いですなーー。」というので、
「ほんまや、 えー風やで。」と、言っていたら、時々、蒸気機関の黒い煙が、入ってく
るのが、難点であった。
私が読んでいたのは、「 月刊 乃木式」 という、月刊誌で、 当時、京都の近くで
作られていた本で、たしか内容は、忠義を尽くして、國に奉公するとか言うような、内容で
あった。
しばらくして、「 小池君、 わしたちは、海軍兵学校を卒業して、海軍少尉になって
将来、どういう方向に進むべきかいな。」と、私が問うと、
「 海軍では、まずは、艦長になるのが1番です。 どんな船でも、艦長にならんと、
あきませんは、 大きな船の、砲術長などになっても、小さな船でも、艦長になった人と
比べては、 やはり、船の艦長でしょう。」と言う、 なーるほど、小さな船でもとにかく
艦長になるかーーーーと私は考えていると、 「海軍兵学校を卒業して1年程度すると、
それぞれの専門分野の学校に入るそうですが、希望の大半が、砲術学校だそうです。
やはり、みんな、船には大砲が附いていますからね、 大砲の勉強をする、そういう人が
おおいみたいや。」と、小池君が言うので、「 そーーかーーー。」と、小池君の話を
聞きながら、道中を過ごしたのであった。
当時は、私は、海軍には行って、何をしていくか、まだ、目標が持てなかったのであった。
【次回に続く。】