第457回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第456話  呉に到着の事。                2013年5月23日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
  私と、小池君が、一晩中、 鉄道で揺られて、ふらふらで、広島駅に降り立ち、軍事都市、 呉【くれ】に
 
向かう鉄道が出る、プラットホームに、午前10時過ぎであったか、鉄道が入ってくるのを待っていると、
 
源田 實が、 小池君に対して、声をかけてきたのであった。
 
 
 
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         小池君と、源田は、同じ宿舎の指定らしい、 話を聞いていると、 実家に帰省して、
 
        どうであったという、そんな、会話であったようで、 そばで話をきいていると、向こうから、
 
         「 淵田生徒だっぺや。」と、 水戸中学の井上武男君が、こちらに走ってきた、
 
         私が、「 井上君、 いつ広島についたんや、」と、語りかけると、昨日着いて、一晩、
 
         いろは旅館で、とまつたっぺ。」と言うので、 私は、「 わいらは、夜通し走って、
 
         さっきついたばかりや。」と話をしながら、プラットホームに入ってきた、鉄道に乗って、
 
         広島駅を出発したのであった。
 
         広島駅から、呉駅まで、あっという間に、到着し、私たちは、呉駅に、降り立ったのであった。
 
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                        【当時の呉駅のプラットホームの古写真】
 
           私たちは、ぞろぞろと、駅の中を歩いて、 駅舎の外に出たのであった。
 
 
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                             【昭和初期の呉駅 古写真】
 
 
           鉄道の客車の中で、井上君が、昨日広島市内の、猿楽町のいろは旅館に泊まって、
 
           夜に、京風懐石料理を食べて、大変美味しかったと、話をするものであるから、
 
           私と、小池君は、朝ご飯を食べて無かったので、腹が空いてしまい、私は、
 
 
 
 
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                                【昭和初期の呉の町】
 
           「まだ、11時前やが、 どうや、 わしら2人、朝めし、食べとらんのんや、呉で、
 
           昼めし、たべんかいな。」と、井上君と、源田に語りかけると。 源田が、「 
 
           そういえば、このまま、進むと、船つき場のある、河原石の港に、ちょうど正午前、
 
           小用の港に、ちょうど12時30分前後、ただし、人が多いと、まださらに時間が
 
           伸びる可能性がある。
 
           小用には、めし屋が、すぐには、無いかもしれんけえ、ここで、食べて行った方が、
 
           えーーかもしれん。」と言って、 私たち4人は、呉の町に繰り出したのであった。
 
 
 
【次回に続く。】