第460回  昭和の伝道師【船中、戦後のパイロットの物語】

第459話   戦艦の鉄の装甲の事。            2013年5月26日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
   私たちは、河原石の船着き場で、源田の、海軍のいかりの印を、プロペラの印に変更するという
 
そういう、お話を聞いていたら、次の船がやっと到着し、私たちは、ぞろぞろと、小舟に乗船したのであった。
 
 
 
 
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                            【当時の連絡船の古写真】
 
          私たちの乗った、小舟は、船着き場のもあいから、ロープを外して、 するすると海面に
 
          出ていった。
 
          すると、今までは、暑かったのであるが、心地よい潮風が、吹いてきて、私は、「ええ風や。」
 
          と、小池君達と話していたのであった。
 
 
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              当時の呉軍港に、船艦などが横付けすることは、ほとんどなく、大概が、
 
 
               沖合に、アンカーを撃って、停泊するというのが、当時のスタイルで、
 
               その後、昭和に入ると、岩国沖の柱島【はしらじま】 という、 小島で周囲を囲
 
               まれた海面に、 防空砲台、 潜水艦防止金網などを配置した、 場所が整備され
 
               ここが、連合艦隊の本拠地となっていくのであるが、 後日紹介したいと思う。
 
 
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            私たちの船は、呉軍港の前の赤い籏のブイの手前で。回頭し、おもかじを切って、
 
           江田島に向かったのであったが、源田の話を聞いていて、疑問に感じたのが、 船は
 
           全速力で、航行して、 右や、左に動くのである。
 
 
 
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           飛行機の方が、スピードは桁違いに速いのであるが、 上空から爆弾を落として、
 
           源田が言うように、当たるのであろうかーーーーと、疑問に思ったのであった。
 
 
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           ましてや、駆逐艦などは、艦が小さく、 速度は60キロ程度、スピードが出る。
 
 
           仮に、当たったとしても、 鉄の装甲で、戦艦などは、覆われてれている。
 
           
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            どうなのであろうかと、源田に質問しようかと思ったのであったが、 そうこうしている
 
            うちに、江田島の小用の港に、到着して、小池君と源田は指定の宿舎の川口家に
 
             行ってしまい。
 
             井上君と2人で、指定の宿舎の三谷家に向かったのであった。
 
            それから、19年たって、私がアメリカの戦艦の装甲板を貫くには、 高度は何千
 
            メートルから、投弾すれば良いか、 どのような、爆弾が良いかなど、研究することに
 
            なるとは、当時、考えもしなかったのであった。
 
 
 
【次回に続く。】