第482回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第481話 海軍兵学校 ハンモックナンバーの事。 2013年6月17日 月曜日の投稿です。
数分間、私たちは、先輩生徒に、お小言を頂戴し、 続いて、言われたのが。こんな話であった。
分隊伍長の、角田隆雄1号生徒が、 「 われらが、ひとりひとりに、個別に指導すれば、
良いのであるが、貴様らは、娑婆気が抜けていないのと、人数が多いので、細かく海軍兵学校
精神を、たたき込むために、2号生徒の世話係を命ずる。
貴様らには、ひとりひとり、成績順に、番号がついているが、 これをハンモックナンバーと呼ぶが、
2号生徒と、同じ番号の者を、貴様らの指導係として、そばに置き、 貴様らには、その2号生徒の
個人の身の回りの世話をしてもらう、 その2号生徒の世話を通して、兵学校の諸般を勉強しても
らう。 2号生徒は、前に整列。」と、号令すると、 どかどかと、前に2号生徒が整列したのであった。
分隊伍長の角田隆雄生徒は、今度は、2号生徒に対して、 「 よいか、貴様らが、3号生徒を
責任を持って監督、指導せよ。 ーーーーーーー、 もし、何か落ち度があったときは、 担当の
2号生徒も、連帯責任とし、 一緒に、3号生徒と分隊内で、処分をうけてもらう。 いいなーーー。」
「 返事はーーー。」と、大声を出すと、2号生徒は、「 承知しました。」と、全員敬礼したのであった。
私たちが、寝ている寝台には、ひとつひとつ、番号があって、私の場合は、九八番で、 首席で
入学して、一番の番号から、私は、九八番目の成績と言うわけである。
当然、2号生徒も、九八番がいて、 私の場合は、同い年の福岡県出身の 皆川延利という、2号生徒で
あった。【のちの海軍大佐 第104戦隊 参謀 】
特殊潜行廷での攻撃計画推進者】 であった。
私は、皆川という、生徒の世話係を命じられ、日常の雑用から、あらゆる事をさせられる
ことになったのであった。
「私は、やれやれ、同級生の世話など、やっかいなことになったもんや。」と、内心、心配したので、あったが、
まだ、兵学校は、初日で、苦行は、始まったばかりであった。
【次回に続く。】