第484回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第483回 海軍兵学校 初日の朝食の事。 2013年6月19日 水曜日の投稿です。
私たちは、2号生徒の靴磨きをさせられて、 「磨き方に、心がこもっておらん。」などと、色々
言われていると、 ラッパが鳴り響き、 朝食の合図で、全員、整列して、駆け足で、
食堂に、直行したのであった。
「アーーーー、夜中から、空腹や。」と、つぶやくと、となりの井上武男君が、「 そうた゜っぺや。」
と言うと、 福元義則君が、 「 腹減って、死にそうでごあす。」と、口々につぶやきながら、
食堂を目指したのであった。
当時の海軍兵学校の食事は、朝の0700時から、0730時までと決まっていて、全員、
その時間内に食べてしまわなければならず、 ゆっくりとする時間はなかったのである。
当時の食事というのは、軍人は質素を貴ぶべしの精神で、非常に粗末な物であったので
あるが、
上の画像が、実際の昭和16年当時の朝食の古写真で、 貴重な資料である、
兵学校のかまどで焼いたパンを、いくぶん厚めに切ってあって、 味噌汁は、ネギと、
ワカメだけという、こんな簡単な朝食であった。
当時のモーニングセットである。
パンだけ、食べていると、「 娑婆気がぬけておらん。」と、怒られて、げんこつを入れられて
いたらしいが、私たちの頃は、やはり、そんな食べ方をしていると、 口頭で注意された。
パンを左手で持って、 右手で少しずつ、切って、 汁につけていただく、 これが、
イギリス流、海軍兵学校の朝食の食事の作法で 、私たちは、2号生徒に指導を受け
ながら、朝食をいただいたのであった。
【次回に続く。】