第485回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第 484話 軍艦 鹿島 江田内に入港の事。 2013年6月20日 木曜日の投稿です。
私たちは、あっという間に朝食を済ませて、 アルマイトのやかんのお茶を湯飲みについで゛
のんでいると、又々、ラッパの音がしたのであった。
ラッパのメロディーで、意味合いが違うらしいのであるが、昨日入学した我々にわかるはずもなく、
【昭和初期の海軍兵学校での食事の様子】
2号生徒の誰かが 、 「練兵場に集合せよという、ラッパだ、いそげ。」と、言うので、私たちも
その生徒の後に続いて、どやどやと、練兵場に走って出たのであった。
【昭和初期の海軍兵学校全景】
【手前の 8軒程度の建物は、官舎か、なにかであろう。】
海軍兵学校の西には、入り江が広がっていて、 私たちが、20年後に、攻撃をかける
ことになるハワイの真珠湾を少し小さくしたような、凹みになっていて、波の小さな
湾を、当時は、江田内と呼んでいたのである。
私たちは、練兵場に分隊事に整列すると、副校長の大佐殿が、「 ただいま、
と、入電があった、もう少しで、江田内に、入港される。
全員、予行で行ったように、各持ち場にて、整列して、粗相の無いようにせよ。」
と、訓示があり、私たち生徒は、分隊事に、指定された場所に整列したのであった。
分隊伍長の角田1号生徒の号令の元、 私たちは整列して、 その後、生徒隊 監事と監事附の
見回りがあり、緊張して、整列していたのであるが、一向に、軍艦は入港してこなかったので
あった。