第486回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第485話 海軍兵学校 高松宮親王殿下来校の事。       2013年6月21日 金曜日の投稿です。
 
 
 
 
   1時間から、1時間半程度、私たちは、整列したまま、待たされて、心の中で、「 はぁーーー。」と、
 
ため息をついていると、  ラッパの音が聞こえてきたのであった。
 
 
イメージ 1
   
                 
 
      
               【当時の高松宮親王殿下来校時の海軍兵学校 正門 古写真】
 
 
 
      海軍兵学校の西側には、正門と呼ばれる、船着き場があって、 階級の高い人は、ここから
 
 
      学校に入るのである。
 
                          当然、私たちは、利用は出来ないわけである。
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
                             【高松宮殿下、 来校当日の古写真】
 
 
 
       高松宮親王殿下は、大正天皇の三男で、 昭和天皇【当時の東宮皇太子】の弟である。
 
       私は、後日知ったのであるが、 宮城内【皇居】では、光宮と、呼ばれていたらしい。
 
       しばらくすると、短艇の到着を知らせる、笛の音が、「 ピィーーーーーピーーーーー。」と
 
       鳴り響いて、 軍楽隊が、「 パァーーーパァーーーチャンチャチャーーーーーンーー♪。」
 
      と演奏を開始すると、私たちは、背筋を伸ばして、足のかがとをつけて、不動の姿勢で整列
 
      して、光宮をお迎えしたので゛あった。
 
 
 
イメージ 3
    
               
 
 
                       【高松宮殿下、海軍兵学校来校当日の古写真】
 
 
 
 
          私は、紹介したように、視力が良くなくて、かすんでよく見えなかったのであるが、
 
          短艇から、10人前後、上陸してきて、 洋服姿の侍従のような人も同行していた。 
 
 
          私は、奈良県の葛城村の山村の小学校の教師の息子で、皇族の人というのは、
 
          ここで初めてお目にかかったのであるが、兵学校に入学していなかったら、おそらく
 
          一生、お会いする機会は無かったであろう。
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
                          【中央が、高松宮殿下 当時 】
 
 
 
            高松宮殿下は、 東宮皇太子【昭和天皇】のように、メガネなどはかけていなくて、
 
            ひょろっとしたような、すらりとした、体つきで、後を歩いている、海軍省の軍令部の
 
            参謀肩飾をぶら下げている、海軍大佐とは、随分と違う感じの人に見えたのであった。
 
 
イメージ 5
 
 
 
           私たち、海軍兵学校 校長以下、軍無教官、民間教員、 職員、生徒整列して、
 
           呉鎮守府の軍楽隊の演奏とともに、お迎えしたのであった。
 
 
イメージ 6
 
 
 
 
             1分程度の時間であったか、ーーーー、高松宮親王殿下は、私たちの前を、
 
 
              敬礼しながら、テクテクと歩いて、付き添いの佐官と一緒に、通り過ぎて行ったので
 
             あった。
 
 
             あっという間の出来事であったが、生まれて初めて、皇族の方に、お目にかかった、
 
             日で、海軍兵学校 入学式前日の出来事であった。
 
 
 
【次回に続く。】