第486回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
1時間から、1時間半程度、私たちは、整列したまま、待たされて、心の中で、「 はぁーーー。」と、
ため息をついていると、 ラッパの音が聞こえてきたのであった。
海軍兵学校の西側には、正門と呼ばれる、船着き場があって、 階級の高い人は、ここから
学校に入るのである。
当然、私たちは、利用は出来ないわけである。
【高松宮殿下、 来校当日の古写真】
私は、後日知ったのであるが、 宮城内【皇居】では、光宮と、呼ばれていたらしい。
しばらくすると、短艇の到着を知らせる、笛の音が、「 ピィーーーーーピーーーーー。」と
鳴り響いて、 軍楽隊が、「 パァーーーパァーーーチャンチャチャーーーーーンーー♪。」
と演奏を開始すると、私たちは、背筋を伸ばして、足のかがとをつけて、不動の姿勢で整列
して、光宮をお迎えしたので゛あった。
私は、紹介したように、視力が良くなくて、かすんでよく見えなかったのであるが、
短艇から、10人前後、上陸してきて、 洋服姿の侍従のような人も同行していた。
私は、奈良県の葛城村の山村の小学校の教師の息子で、皇族の人というのは、
ここで初めてお目にかかったのであるが、兵学校に入学していなかったら、おそらく
一生、お会いする機会は無かったであろう。