第495回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第494話 初めて見る海軍大将の事。 2013年6月30日 日曜日の投稿です。
私達の掃除の配置場所というのは、 生徒館の西側、 つまり、正面の玄関、 船着き場から、歩いて
すぐの場所で、 ここ1週間、毎日特別清掃で、ゴミなどもなく、仕方なしに、草をむしろうかと思ったので
あるが、その草もないーーーーー、仕方なしに、周囲の草むしりの恰好を、福元君、今川君、井上君
と一緒に、していたのであった。
「私が、海軍軍令部 部長とは、なんやねん。」と、質問すると、福本君、井上君は、返事が出来ず、
今川福男君が、さすがは、東京都出身、府立1中卒で、すらすらと解答した。
実行する。 こんな仕組みになっていて、陸軍で言えば、参謀総長のくらいに相当する。
つまり、海軍の中で、海軍大臣の次に、えらい身分の人である。
私が、「 ほうーーーー、そんなら、連合艦隊司令長官より、えらい人や。」と言うと、 今川君が、
「 まあーー、そんなところだ、 いずれは、わしが、その職について、淵田生徒は、副官で、使ってやる。」
と言うので、「 そのおりには、よろしゅうたのむでーーー。」と、笑いながら、冗談を言っていると、
正面玄関の船着き場の方から、海軍大尉が、駆け足で、こちらに来て、「 予定より早く、呉鎮守府
長官一行が、おこしになる、 全員、整列せよ、 もうすぐである。順序はどうでも良い、服装を正せ。」
【当時の海軍兵学校 正面玄関 船つき馬付近の古写真】
「 全員 急げーーー。」と、大声で号令を出して、 走って次の場所に移動していったのであった。
私達は、 えらいこっちゃと、 ズボンを腰のところで、引っ張り上げて、道の横に整列したのであった。
その副官一行、 さらに、 東京から、海軍軍令部 部長 山下源太郎大将【海兵10期 山形県出身】と、
軍令部次長 安保清種中将【海兵18期 佐賀県出身】が、おこしになられたのであった。
初めて見る、当時の日本海軍の実力者、 海軍大将である。
私達は、海軍軍令部の一行が、通り過ぎるまで、不動の姿勢で、整列し、敬礼をして、出迎えたのであった。
心の中で、いずれは、自分もと、考えていたのであった。
【次回に続く。】