第501回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第500話 海軍兵学校 父兄参観の事。 2013年7月6日 土曜日の投稿です。
みなさん、こんばんは、模型公園です。 今日で、500話になりました。 まだ、主人公が、19才
の頃のお話なので、 今後の事を考えると、まだまだ先が長いのですが、毎日少しずつ投稿していきます
ので、今後ともよろしくお願いします。
海軍兵学校入学式当日の事で、記憶に残っているのは、父兄参観である。
地方の大半の生徒は、父兄など遠いので、来ることはなかったのである、もちろん私の両親も、
母は病気がちであるし、 当然来なかったのである。
数人、呉経由で、江田島に参観に来ていたのであった。
それは、私達が、1号、2語生徒より、早めに食事を済ませて、 小池君や、源田たちと、話をして、
食後の一服している所であった。
父兄の一行は、大講堂から出てきて、 自分たちの息子を捜しているようであった。
見つからないはずである、 生徒館の南側の練兵場に出て、記念写真を撮影し、それから、
食堂にはいって、食事をしていたのである。
光栄の至りーーーーーーーー。」と、満足そうに話していると、向こうから、「 みのる君。」と、呼ぶ声が
して、源田が、「 おうーーー、少しすまんな。」と言って、女の人が2人、源田を呼んだのであった。
「 まあーーー、みのる、立派になってーーーー。」と、随分と、嬉しそうにしている和服姿のお母さんと
思われる人が、ニコニコしていた、 もうひとりは、下宿先の奥さんのようで、2人とも立派になったと言って
大変嬉しそうであった。
しばらくすると、源田のお母さんがこちらに来て、「 いつも みのるがお世話になりまして、この度は、
なにゅーー、みなさん、ご入学おめでとうございました。」と、丁重なご挨拶で、 お母さんの顔を見ると、
耳や、鼻のあたりが、源田そっくりで、私は、ははぁーーーと、ほほえんでしまった。
少し雑談の後、源田のお母さんが、「みのる、東京帝大の、松三兄ちゃんに、負けんように、一生懸命
体に気おつけて、がんばるんよ。」と言って、我々と別れたのであったが、今から思えば、源田の負けず
嫌いは、母親の影響であったようである。
【次回に続く。】