第502回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第501話  海軍軍令部長 山下源太郎大将の事。      2013年7月7日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
   私達の海軍兵学校の入学式に、東京から来賓としてこられていた、海軍軍令部の部長、山下源太郎
 
 大将は、 軍令部次長の安保清種中将を伴って、江田島におこしになられたのであるが、先に紹介
 
したように、次長の安保中将は、日露の海戦で、戦艦三笠の砲術長を務められ、活躍したのは、お話しした
 
通りである。
 
 
 
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                      【海軍大臣  海軍大将  山下源太郎 】
 
 2人とも、海軍大臣を歴任され、海軍を代表する、将軍であったのであるが、 ひとつ、あまり知られてい
 
ない事を紹介すると、 大東亜戦争で、戦死した、連合艦隊司令長官 山本五十六元帥は、有名な
 
人であるが、奥さんは、13才も年下で、 礼子さんというのであるが、この奥さんの縁談を山本元帥
 
に持って来たのは、 軍縮条約推進派の堀中将で、 堀中将と親交があった、山本元帥は、指は吹き
 
飛び、体は、火傷のケロイド状態の痛々しい姿で、当時35才で、結婚は考えていなかったらしいが、
 
いろいろあって酪農家の娘の礼子さんと結婚することになったのであるが、彼女の家が、先に紹介した、
 
山下源太郎大将の婿養子の息子の親戚の家で、山本元帥は、そんな縁で、山下大将の家に、よく
 
訪問されたらしい、
 
 
 
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                【左が、米内光政 内閣総理大臣   右が 山本五十六元帥】
 
 
     ちょうど、30代後半から、40代にかけて、 山本元帥の考えに、山下源太郎大将が、
 
     ずいぶんと、影響したようである。
 
     伝え聞いたところでは、山本元帥の妻、礼子さんというのは、随分としっかりした人で、
 
     山本元帥が、【松の木の大木】と、 評していたそうで、 お会いしたことはないのであるが、
 
     当時から、有名な人であった。
 
 
【次回に続く。】