第515回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】

第514話   海軍兵学校 武徳殿での出来事。      2013年7月19日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
  私達は、10分前に、整列集合して、不動の姿勢で、教官の到着を待っていたのであった。
 
 
 
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 当時の武道教官は、寺本教官といって、 山本五十六元帥や、南雲忠一中将などにも、武道を教えた
 
という教官で、 今年度から、若い、堀 正平という、一般人の武道教官が、栗鎮守府から、こられていた。
 
「 全員、敬礼。」と言う号令で、私達は、敬礼すると、 道場の板間に正座をさせられたのであった。
 
 
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                  【海軍兵学校 武徳殿  古写真   昭和初期頃 】
 
寺本教官は、私達に、「 わしは、1回目と、2回目は、こんこんと、とくのだが、3回目はようしゃは
 
せんからな。」と、言うと、大きな声で、「 返事は。」 と言うので、私達は「 はい。」と、大声で答えた
 
のであった。
 
 そして、 壁に張り紙がしてあって、 それをゆび指して、 「これより、海軍兵学校 道場十訓を全員で、
 
唱和する。」 と、号令がかかり、 
 
 
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                     【海軍兵学校 道場十訓   昭和初期頃の資料】
 
 
         私達は、大きな声で、道場十訓を大声で、叫んだのであった。
 
 
       寺本教官が、「 全員やめーーーーー。」と、 号令をかけると、私達は、この十訓を
 
       そらんじるのをやめると、堀 教官が、 畳の束を試斬台に固定して、 こちらに持って来たので
 
        あった。
 
 
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                     【海軍兵学校 武徳殿  刀掛け  古写真  昭和初期頃 】
 
 
             道場の壁に、軍刀が掛けてあって、 その軍刀を腰に差して、寺本教官は、
 
            試斬台の前に正座をすると、静かに目を閉じて、しーんとした、時間が1分
 
             少々すると、手を刀の柄にそえたとおもいきや、腰の刀のこいくちを、
 
             切るや、 「 いゃーーーーーーーー。」と、気合いの入ったかけ声を出すと、
 
             一瞬に右手で、鞘を抜いて抜刀し、横に切りつけると、 切っ先を天について、
 
              今度は、斜めに袈裟切り【けさぎり】をして、 すっと、刀をへその前に持って来て、
 
             一瞬のうちに納刀して、 鞘に一瞬のうちに、刀を収めて、「 ふうーーー。」
 
             と、息を吐くと、試斬台の畳の丸めた束は、 どかっと、音をたてて、真横と、斜めに
 
             切り裂かれて、板間に落ちたのであった。
 
 
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              【海軍兵学校、居合稽古古写真   草加任一 中将  古写真 昭和17年頃】
 
      私は、「はぁーーー、 すごいもんやな。」と、 居合の抜刀術に、感心して、ぜひ自分も、やって
 
      みたいもんやと寺本教官の演武を見学して、思ったのであった。
 
 
      寺本教官は、「 よいか、 見敵の機先を制し、 おのれの皮を敵に斬らせて、敵の骨を
 
      斬る、この体当たり戦法こそ、海軍兵学校の剣法の極意である。」と、私達は、「 はい 。」
 
      と、大声で返事をしたのであった。
 
 
 
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                     【海軍2式艦上偵察機  古写真  昭和17年頃 】
 
 
       当時は、 演武を見て感心して、 敵に皮を斬らせて、敵の骨を切る、海軍兵学校 
 
 体当たり戦法は、 なにも疑問は感じなかったのであるが、戦後になって、考えて見ると、多くの
 
パイロットが、魚雷、爆弾を飛行機に搭載して、この考えで、敵鑑に接近しすぎて、対空砲火で、
 
蜂の巣になって、戦死したのであった。
 
  もう少し、早く間違いに気づいて、修正すべきであったと、つくずく、思うのであった。
 
 
【次回に続く。】