第522回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第521話 第6潜水艇沈没事故査問会の事。 2013年7月27日 土曜日の投稿です。
どのような、命令が出され、どのような事を行っていた時に、どうして事故になったのか、顛末を
書類にまとめて、事故報告書を、東京の海軍省に送るように、指示を出したのであった。
命令を出していたのか、そういう調査が行われたようである。
海軍大学の資料には、 シュノーケルのエンジン航行試験などという、命令文ではなく、カタカナによる、
電文命令書が添付されていて、 そこには、ただの航行訓練と、安全監視のため、歴山丸を同伴すべし。
とあるだけであった。
ここで、調査報告書には、こんな事実が書いてあったのであった。
潜水艇であった。
第1潜水隊司令の吉川安平中佐の申し立てによると、 日頃からトラブルが多発し、 運用上、
問題があるため、岩国に、6号潜水艇を留め置いたのであるが、 佐久間大尉より、航行訓練の
意見具申の入電があり、 豊橋丸より、万が一の安全のことを考え、歴山丸を同伴の上で、航海
訓練を了承したとの申し立てがあり、それをうらずける、命令電文が、第六潜水艇内より、発見
されたのであった。
この事情聴取で、潜水隊司令としての落ち度は、認められず、それ以上の追求はなかったのであるが、
この度の第1潜水隊内の事故に附き、天皇陛下から、お預かりしている艦艇で事故が発生し、
14名の死者を出したことに、第1潜水隊司令として、責任を痛感しているとの申し立てがあり、
書類にも、そのように記載されていたのである。
第6潜水艇の潜行報告から、どうして、夕方まで、報告を17時まで、放置していたのか、という
のであった。
ここで問題となったのは、 歴山丸の監視の兵が、誰一人、潜行の予定時刻を、把握していなかった
ことである。
たとえばである、 1時間程度の潜行なら、そのように聞いていたら、 1時間半程度にもなれば、
おかしいと、気がつくわけである。
佐薙一等兵曹以下、だれも予定を聞いていないのである。
申し立てによると、長時間の潜行は、よく行われていて、 あまりにも長いので、心配し、
しかし、後浮上してきて、佐久間大尉に、余計な心配をして、司令部に、余計な報告をして、
怒られてはと思い、 しばらく様子を見ることにしたのであるが、異常に感じ、潜水隊司令部には、
に、相談の連絡したというのであった。
先任の大田原少佐は、迅速、適切な対応を取り、なにも、尋問はされなかったのであった。
ここで、紹介しておくが、艦の行き先、作戦行動については、極秘と言うことが多く、艦長、及び、
副長以外、知らせない場合が、現在と違い、当時の海軍では、当たり前であったのである。
どこに行くというのが、末端にしれると、作戦行動が漏れる可能性があるためである。
報告書には、 見張りの先任下士官の行動について、一部、不適切が認められるものの、
責任は問えないとしてあり、 今度は、第6潜水艇の内部を詳しく調査することになった
のであった。
【次回に続く。】