第522回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第521話     第6潜水艇沈没事故査問会の事。       2013年7月27日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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                【呉鎮守府司令長官 加藤友三郎 中将  のちの、内閣総理大臣。】
 
 
  事故から4日後の明治42年4月18日 呉鎮守府司令長官 加藤友三郎中将は、15日に発生した、
 
第6潜水艇事故査問会をひらいて、調査を行うことを、呉海軍工廠長の伊地知 季珍少将に対して、発令、
 
どのような、命令が出され、どのような事を行っていた時に、どうして事故になったのか、顛末を
 
書類にまとめて、事故報告書を、東京の海軍省に送るように、指示を出したのであった。
 
  早速、水雷母艦 豊橋 に乗艦していた、第1潜水隊司令の吉川安平中佐が呼ばれ、どのような、
 
  命令を出していたのか、そういう調査が行われたようである。
 
 
 
 
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                                        【呉鎮守府 古写真】
 
 
 
海軍大学の資料には、 シュノーケルのエンジン航行試験などという、命令文ではなく、カタカナによる、
 
電文命令書が添付されていて、 そこには、ただの航行訓練と、安全監視のため、歴山丸を同伴すべし。
 
とあるだけであった。
 
 
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    ここで、調査報告書には、こんな事実が書いてあったのであった。
 
   第6号潜水艇とは、 国産第1号の潜水艇で、明治39年、川崎造船所が、見よう見まねで作った、
 
   潜水艇であった。
 
   1号から5号までは、アメリカの民間企業から部品を輸入して、横須賀海軍工廠で、組み立てた、
 
   潜水艦で、、国産第1号が、アメリカの潜水艇を和風に改良した、6号潜水艇だったのである。
 
   第1潜水隊司令の吉川安平中佐の申し立てによると、 日頃からトラブルが多発し、 運用上、
 
    問題があるため、岩国に、6号潜水艇を留め置いたのであるが、 佐久間大尉より、航行訓練の
 
   意見具申の入電があり、 豊橋丸より、万が一の安全のことを考え、歴山丸を同伴の上で、航海
 
   訓練を了承したとの申し立てがあり、それをうらずける、命令電文が、第六潜水艇内より、発見
 
   されたのであった。
 
   この事情聴取で、潜水隊司令としての落ち度は、認められず、それ以上の追求はなかったのであるが、
 
   この度の第1潜水隊内の事故に附き、天皇陛下から、お預かりしている艦艇で事故が発生し、
 
    14名の死者を出したことに、第1潜水隊司令として、責任を痛感しているとの申し立てがあり、
 
   書類にも、そのように記載されていたのである。
 
 
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      次に、歴山丸の海上にて、監視していた、下士官、水兵に、事情聴取が行われ、見張り員の
 
   第6潜水艇の潜行報告から、どうして、夕方まで、報告を17時まで、放置していたのか、という
 
   点に、議論が集まり、 担当下士官であった、 佐薙一逸 一等兵曹に対して、聴取が行われた
 
   のであった。
 
   ここで問題となったのは、 歴山丸の監視の兵が、誰一人、潜行の予定時刻を、把握していなかった
 
   ことである。
 
    たとえばである、 1時間程度の潜行なら、そのように聞いていたら、 1時間半程度にもなれば、
 
    おかしいと、気がつくわけである。
 
    佐薙一等兵曹以下、だれも予定を聞いていないのである。
 
    申し立てによると、長時間の潜行は、よく行われていて、 あまりにも長いので、心配し、
 
    しかし、後浮上してきて、佐久間大尉に、余計な心配をして、司令部に、余計な報告をして、
 
    怒られてはと思い、 しばらく様子を見ることにしたのであるが、異常に感じ、潜水隊司令部には、
 
   打電せず、 佐久間大尉の先任の潜水母艦 韓崎 に乗船中の第8潜水艇の艇長の大田原少佐
 
   に、相談の連絡したというのであった。
 
    先任の大田原少佐は、迅速、適切な対応を取り、なにも、尋問はされなかったのであった。
 
 
 
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    ここで、紹介しておくが、艦の行き先、作戦行動については、極秘と言うことが多く、艦長、及び、
 
   副長以外、知らせない場合が、現在と違い、当時の海軍では、当たり前であったのである。
 
   どこに行くというのが、末端にしれると、作戦行動が漏れる可能性があるためである。
 
      報告書には、 見張りの先任下士官の行動について、一部、不適切が認められるものの、
 
    責任は問えないとしてあり、 今度は、第6潜水艇の内部を詳しく調査することになった
 
 のであった。
 
 
     【次回に続く。】