第2198回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2197話 乙未事変 小村 壽太郎政務局長の報告のこと。
2018年6月27日水曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
1895年 明治28年の下関講和条約の時の謎と、同年10月24日の三浦 梧郎
朝鮮全権公使らの免官処分については謎が多く、諸説があるのです。
両方とも 中心人物は、当時の内閣総理大臣 伊藤 博文 公で、その決定
について 大きく影響を及ぼしたのが、 外務省 政務局長 小村 壽太郎氏の
報告書であったとされています。
当時、 その報告書を 内閣総理大臣 伊藤 博文 公に取り次いだのは、
当時の外務次官 原 敬 氏て゜、つまり後の内閣総理大臣 原 敬 さんでした。
逆算すると、 10月22日か23日に、モールスによって、朝鮮半島から報告書が
当時の外務省に寄せられたと推測されます。
内閣総理大臣 伊藤 博文 公が、 外務省の政務局長 小村 壽太郎氏を
朝鮮の首都 漢城に派遣する事を決定したのが、明治28年10月10日、
仁川港に上陸したのが 同年10月15日、 漢城に至ったのは、およそ同年
10月17日前後と推測されます。
【 当時の外務省 政務局長 小村 壽太郎 氏 】
明治28年10月17日から22日の5日間の間に、何が漢城の日本公使館周辺で
起こったのか、 内閣総理大臣 伊藤 博文 公は、 事件関係者を全員逮捕して
広島監獄に収監し、 軍法会議にかけて 処断しようとしたのですが、全員無罪
となっていった その謎は日本の近代史の長い謎とされています。
いったい 小村 壽太郎氏の報告書とは どんな内容であったのか、ひとつは、
本当の事実のみの顛末を報告した。 これが1番可能性の高い説、 二つ目は、
虚偽の報告を外務省に送り、 当時の朝鮮全権公使 三浦 梧郎公使らが、逮捕
されるに至ったという説があります。
朝鮮の首都 漢城でいったい何があったのか、現在も謎となっています。
【 明日に続く。】