第1904回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1903話 衆議院議員 井上角五郎先生の事。

                       2017年8月30日水曜日の投稿です。




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 朝鮮半島で、清国人が政権を掌握して、 広場に人々を集めて、見せしめの処刑

を行い、人々に恐怖を与えて、収穫したばかりの年貢を朝鮮人からむしり取って集

めていた当時、 慶応義塾の福沢 諭吉先生は 何を考えていたかというと、 大日

本国と大朝鮮国で同時に、議会制民主主義を行う運動を始めようと計画していたそう

です。



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  朝鮮半島を、 このまま放置すると、清国人に多くの朝鮮の人が殺害され、

清国領のようになっていき、 それを防いで一日も身分制の封建主義の独裁政治

を民主的に終わらせ、 そして それを行うには、朝鮮半島の人に、議会制民主

主義とは何かを 慶應義塾の門下生が直接出向いて広める必要があると考えて

いたそうです。



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           【井上 角五郎 先生 広島県福山市 誠之館出身 】




  福沢 諭吉先生が 自分の代わりに朝鮮半島でこれを進める人材として

 選んだのは、 土佐の 後藤象二郎 元参議の書生をしていた、井上 角五郎

 先生でした。

 どんな人かというと 現在はまったく忘れ去られ、知る人は少ないのですが 

万延元年に、現在の 広島県福山市野上町で生まれ、神童の名前が付く程度

幼少から学問が出来、備後福山藩11万石の藩校の誠之館に飛び入学で入校

し、出来がよいので 特待生で卒業し、上京して慶応義塾で学んだ秀才でした。 

 1882年12月、 後に 衆議院議員となって活躍することになっていく井上

角五郎先生は、 人の為に役に立つ学問、 そして、 慶応義塾の門下同士、

報酬を求めず一致協力して世のため人の為に尽力するという 社中協力の

精神で、清国人が政権を掌握した朝鮮半島に乗り込んで行くことになっていった

のです。

  持っていったのは、筆記道具だけだったそうです。

 武器もなにもなく、 話し合いと、議会制民主主義の説法だけで、朝鮮

半島の情勢が 回天したのでしょうか、 一緒に少しずつ勉強して行きましょう。

 

  【 明日に続く。】