第2567回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月11日月曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
1924年 大正13年の11月13日になると、海が荒れるのは一向に治まらず
艦が沈みそうな感じに 右や 左に傾いて、それはそれは 大変な思いをして
いたのですが、 そんな状態が3日程度続いたのを記憶しています。
日本海溝と呼ばれる 水深の深い場所を通り過ぎると、不思議と海面が夕方
治まっていったのです。
当時、「 大自然を知ること。」 という課題があったのですが、 自然の猛威
といいますか、 大風が吹く事によって、波が起こり、 1万トン近い 八雲が
葉っぱのような感じで、流されたり、揺れるわけですから多いに驚き、とくに
艦が 波に向かって進む場合は、 艦首が上に上がって、 下に沈んでを繰り
発生し、 15回も押しよせ、練習艦 八雲が 横倒しになりそうになる程度
打ち寄せたのには 私達を含めて 八雲の乗組員は大変な思いをする事に
なったのです。
このようなわけで、航路を設定する場合は、出港地と目的地とを線で結んで
設定したりするのは素人の航路設定で、 水深が深い海域や、波の高い場所
をさけて、 遠回りしてでも 波の穏やかな海域を航行したほうが、燃料も節約
でき、航行時間も早くなることを身を持って勉強したのです。
こうして 横須賀鎮守府を出港して 3日の間というのは、低気圧の中を
候補生の部隊全員、 船酔いでへばってしまったのを記憶しています。
【 明日に続く。】